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海岸の研究
海岸研究室

海岸研究室 研究テーマ
[4]海岸利用

2.海岸の歴史文化

(1)はじめに

 海岸は、古来、日本人にとって生活に密着した場である。このため、海岸に纏わる歴史・文化は、全国の沿岸地域に残されています。それは、地域の特色や時代的、社会・経済的背景、地理的背景を受けて育まれ、それぞれの海岸で独特の風土を形成してきました。
 したがって、個性ある海岸を目指していくことは、沿岸地域の歴史、風土や文学、文化などを知っておくことが必要です。

海岸に関する歴史・文化の一例

(1)遺跡

 海と人との関わりが歴史として語られるものには、貝塚があります。大森の貝塚(東京都大田区・品川区)は、縄文時代後期〜晩期(4000年から5000年前)の貝塚です。貝殻はもとより、土器、土偶、石斧、人骨片、鹿・鯨骨が出土しており、狩猟・漁労を生活の糧としていた時代の生活を伺うことが出来るものです。これは、アメリカの動物学者モース博士が1877年に東海道線の車窓から発見したものとされています。現在も貝塚発掘の碑が京浜東北線大森駅の北西側の線路沿いに建っており、縄文後期の海岸線の位置を知ることができます。


かつての海辺で遊ぶ子供たち
(京浜東北線大森駅付近:
一段高い線路の向こう側で大森貝塚が発見された)

(2)絵画

 この貝塚の付近について、江戸時代の姿と比べてみることができます。
 右図は、歌川広重による東海道鈴ヶ森を行く参勤交代の画です。この時代、東京湾には砂浜が形成され、東海道は浜辺に沿った湾岸道であり、行列が通るに十分な広さが整備されていることがわかります。この場所は、品川区南大井の京浜急行大森海岸駅の付近であり、現在は国道15号線が走っています。江戸時代の東海道は大森貝塚よりおよそ500m海側に位置し、縄文時代よりも海岸線が後退しています。

 江戸時代、町中からはずれたこの場所も現在ではビルが立ち並んでおり、さらに海側には、品川区民公園、大井競馬場が位置しております。

「東海道 鈴ヶ森」
歌川広重(二代)画
(品川区立歴史館所蔵)
かつての東海道
(京浜急行大森海岸駅付近)
品川区民公園
(向こう側に大井競馬場の照明スタンドが見える

(3)文学

 文字で残る文学でも、かつての海の様子をしることができます。秋田県の象潟は、2600年前の鳥海山噴火、崩壊にともなう岩なだれが、当時の日本海に流れ込み、いくつもの小島が形成されています。




 入江に島々が浮かぶ様は、宮城の松島に匹敵するとされ、多くの文人が訪れました。1689(元禄2)年、象潟を訪れた松尾芭蕉は、雨にぬれる象潟の風景の美しさを中国の美女西施にたとえ、
象潟の雨や西施がねぶの花
と詠んでいます。その後、1804年、象潟大地震により潟が隆起し陸地化しました。(写真 下)。その風景を俳人石井露月は
象潟はうもれて蝉の声厚し
と詠んでいます(1906(明治39)年)。この様な文学作品でも、海岸の変遷を知ることが出来ます。

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