■ パネルディスカッションの主な論点
●130年間の国土づくりの概観 (東京大学教授 篠原 修、コーディネーター)

- 江戸時代末から明治初期にかけて、日本を訪れた外国人の日本の風景に対する評価を調べてみると面白い。江戸について、オルコック(英)は緑あふれる田園都市のようだと言い、アンベール(スイス)は東洋のベニスと呼んでいた。しかし、このように狭く、二階建てのこのような町を明治政府は自己否定し、銀座煉瓦街、丸の内などのように欧化させてゆくことになる。
- 初めての都市計画ともいうべき明治20年代の東京市区改正の立案にあたっては、パリのようにしたらどうかなどと議論されたが、実際には、経済力もなく、道路の拡幅を主とした実用的な都市改造に終わった。しかし、明治から50〜60年たった関東大震災後の帝都復興事業では、太田圓蔵と田中豊の設計による隅田川の橋梁や水と緑の接点としての橋詰公園、小学校と小公園をセットにした防災拠点づくりなど、かなり成熟したものが作られるようになった。あと10年、戦時体制に入るのが遅れていれば、もっとよいストックができていたかもしれない。
- 戦後は、物質的に豊かでなければならないという思想から、市区改正以上に実利主義となったのではないか。首都高速道路が江戸時代の掘割の上に作られていることが典型であるが、戦後は江戸・明治の遺産を食い潰して国土づくりが進められてきたと言っても過言ではない。また、東京を頂点とするヒエラルキーができあがり、全国が東京を目ざし、画一的な風景が広がることとなった。
- このような状況の中にあって、今、美しい国土を再構築するにはどうしたらいいかが問われている。
●国土デザインの出発点になる規範はあるのか?
- ヨーロッパでは、国のアイデンティティと一体の守るべき風景を持っている。
- 日本において、後世に伝えるべき風景として誰もが合意できるものがあるのか。城、伝建地区、鎮守の森や里山といった合意できそうな風景は、いずれも江戸時代に作られたものである。近代が作り得たのは、都市では一時期の丸の内、自然では国立公園制度くらいではなかったか。
- このように出発点が見えないのが日本における国土づくりの悩みであり、どのようにしたら普遍的な息の長い風景を見つけだせるか、新しく創造することができるのか、が課題である。
●景観行政の総括〜今、何故、美しい国土か〜 (国土技術政策総合研究所長 奥野晴彦)

- 高度経済成長期においては、早く大量の物を作るという時代の要請の中で、規準化を進めてきた。その結果、国土づくり、町づくりにおいて、金太郎アメと言われることになった。
- 昭和50年代の終わり頃から、環境アセスに景観が要素として加わるなど、景観意識が芽生えるようになってきた。平成5〜8年にかけては、景観の総合技術開発プロジェクトも実施され、美しいものを作ることは、意識として浸透してきている。しかし、景観は化粧のような付け足しだという誤解も残っており、今後は、「防災」、「治水」といった国土の安全をベースに、「景観」、「環境」等の様々な機能が一体となった「美しい国土づくり」を目指す必要がある。
●景観における現場の悩み〜
- 現場では、何を尺度に作って行けばよいのか、どうやって合意を図っていくのかが分からず、悩んでいる。また、公共事業に対し、厳しい目がある中で、景観とコストとの関係をどう考えていくのかが問われている。
●地域の中から守るべき骨格を見つける (慶応義塾大学教授 石川幹子)

- 水と緑は、社会的共通資本であるという観点から近代都市の町づくりを見たい。
- パリは極めてわかりやすい街づくりをしている。時代を越えて貫かれる明確な骨組、即ち、シャンゼリゼのように都市を貫く軸線とセーヌ川に向かって都市が開くという構造を持っている。しかし、デザインにおいてはラビレットやポンピドーセンターのように新しい物が生まれ続けている。つまり、変わらない骨格の上に、変化し続けていくものがある。
- 時代を越えて守っていくもの、残していくべきものを、それぞれの町で見つけることが必要。東京は混沌として、わかりにくいと言われるが、江戸湊の湊や水の復活、現代の森、鎮守の森の復活がキーワードになるのではないか。
●「美しさ」は強く、厳しい言葉
- 用、強、美だけでなくエコロジーの時代に入った。エコロジーと美は共存できる。
- 美しいまちづくり、国土づくりには、「理念」、「計画」、「政策」、「財源」、「人」の5つが大事。美しいまちを見た場合、その背後にあるこの5つの要素に思いをはせて貰いたい。すると「美しさ」という一見、柔らかい言葉が実は、「厳しい」、「強い」言葉だということが分かる。
●地域とともにデザインも成長する (横浜市都市デザイン室長 国吉直行)

- 地域のデザインを作るには地域にあった町づくりのシステムと継続性が大事。デザインセンスも超一流でなくても、ローカルなものでよい。
- 横浜市では、1970年代から機能を作ってから「美」を付け加えるのではなく、機能を作りながら「美」も創る、ということを続けてきた。景観やデザインは、骨格が決まって最後に相談されることが多いが、最初から検討すれば、お金をかけずに良いものができるし、そうのようにすべきだ。
- 当初は、行政が主導的な立場で地元に入っていったが、やっていくうちにキャッチボール型となり、やがて地域の自立した発想が出てくるようになり、地域の考え方やデザインセンスも時間と共に成長してきた。これには、膨大な時間とエネルギーがかかるが、横浜市はそれを許してくれた。
- 時間とエネルギーをかければ、地域の潜在的な能力や意識は高まってくる。行政側にそれを受け止める体力があるかどうかが問われる。
●都市に田園を取り戻す (日本エッセイスト・クラブ専務理事 辰濃和男)
- 四国八十八ヶ所を歩いた。歩きつかれたときにホッとする空間は、「鎮守の森」、「里山」、「海辺」、「廃校になった小学校」であった。また、最も風景を醜くしているのは国道であった。高速道路偏重から、生活に必要な歩道や歩行者専用路の整備をもっと行うべきではないか。
- 都市、農村と自然との関係で大切なものは、「土」と「水」と「緑」、「静寂」、「風」である。
- 都市化、文明化の歴史は、土を葬り去っていった歴史でもある。「土」はお地蔵さんである。お地蔵さんはコンクリートで覆ってはいけない。
- 腹ばいになって横から下からものを見ないと本当のことはみえない。都市には腹ばいになって土を見る空間がなくなっている。都市に、市民が耕すことができる畑、土に触れることができる場がほしい。都市に田園をもちこんで貰いたい。
●川を清流に。
- 町田では、「子どもたちに川に戻ってきてもらいたい」という願いから、おじいさんたちが月に一度集まって川の掃除を続けてきた。新興住宅地ではあるが、子供たちが川で遊び、人々が集い、掃除するようになった。やがては、三面張りの川を土に戻す方向になるかもしれない。川を清流にするというのは、誰もが合意できるのではないか。
- また、都心洪水、火事、飲料対策等として、雨水の貯留と浸透はこれからの都市にとって大切になる。また、雨水に親しむことで雨のありがたさを体で感じることができ、自然観が変わってくる。
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